あるものが、そのものと呼ばれるために必要な機能ってあると思うんですよね。
例えば、携帯電話は電話機能がついている。とか。
筆箱は、鉛筆など筆記用具を入れる事が出来る。とか。
そういう風に考えると、逆に、そのものが果たすべき機能を満たしていないものは、そのものと呼べないと思います。
だから、電話機能がついていない携帯電話とか、鉛筆が入らない筆箱が存在すると、個人的にはとても不快感を覚えるんですね。裏切られた感というか。
携帯電話だと思って使ってみたら、電話できねーじゃんか!
筆箱って聞いて使ってみたら、筆入んねーし!使えねー!みたいなね。
この不快感は、名前の共通認識でコミュニケーションが成立しているからこそ起こる感情だと思うんですよね。
携帯電話は電話が出来るから携帯電話だし、筆箱は筆が入る事を期待されているから、筆箱になりうるんです。
昨日、あるライブハウスにライブを見に行ったのですが、
そのライブハウスは、建物の構造上自分のいた場所からはライブが全く見えないようになっていて全く楽しめませんでした。
ライブハウスと呼ばれるものは、お客さんがライブを見る事が出来る、というのは絶対に必要な機能だと思うのですが、それが果たされなかったという…
ライブハウス、という名前の共通認識が、ライブハウス運営側と自分で取れていないかったと言えると思います。
自分はライブハウスに行けばライブを見れると思っていて、ライブハウス側はライブが見れない人が発生する構造を有していました。
また見たいな…SOUR ×DAZZLE…
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